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2007年4月 アーカイブ

2007年4月 2日

久しぶりの独語

独り言ではなくドイツ語の話題。

昨日、ほとんど通りすがりの白人娘がドイツ出身だと知り、つかまえてスモールトーク。
ドイツ語なんて 10 年以上使ってないし、ボキャブラリもモトモト極貧なので、二言三言の会話。

なんでも、これから話題の例の語学学校にお勤めになるとか。廻りで聞いていた善良なオバサマたちは本気で心配してました、その語学学校に勤めていいものかと。

まぁアソコは昔からいい噂は聞かないですしねぇ。
学生時代に日本滞在の複数の英国人が教えてくれましたが・・・アソコは講師の賃金が相対的に安く、採用基準が低い。友人には絶対勧めない職場、と。他の語学学校で撥ねられた or やっていけそうもない外国人が働くトコロじゃないかと思えてきます。
さらに、昨今はオカミから経営上の問題で怒られてますし、講師がラリパッパで挙げられてるし、ありえない形態の個人授業の末にあの事件・・・。

などなど悪いコトしか頭に浮かばないものの、初対面のドイツ娘に忠告するのもナンなので何も言いませんでした。自分の判断でさっさと転職してくれることをお祈りします。

で、このドイツ娘との会話ですが、久しぶりすぎで単語を間違って意味が真逆に・・・そのへんはご愛嬌。まぁあんなもんでしょ。

ただ、ハタから見れば、英語以外でコミュニケーションをとってる人は不思議に見えますよね。
本人は「全然話せていないなぁ」とヘコンでいても、二言三言でも会話が成り立ちゃ廻りの人たちからは「話せる人」だと思ってくれるようで。「なんでアンタはドイツ語知ってるの?」と聞かれますわな。
「へぇゲーテ・インスティトゥートで 2 年ほど勉強しましてん」なんてホントのことは今の語学力からすれば恥ずかしくて言えず、「昔、イロイロあったんですわ」と誤魔化した次第。


そういえば、学生時代、友人とトルコ・ギリシア旅行していて、ドイツ人観光客のオバちゃんと数語話すことがありました。そのヤリトリを見て友人が「微調整っち、スゴイわぁ」って褒めてくれましたよ。
でもね、彼はギリシアで、イタリア人詐欺師と丁々発止のヤリトリをスペイン語でやってたのね。そっちの方が数万倍スゴイと思うンやけど。

2007年4月 5日

正の走性

生物が外部刺激に対して生得的に方向性のある運動をする性質を「走性」という。

例えば、生物が光に対して進む or 遠ざかるような場合がこれにあたる。
光の走性は特に「光走性」と呼ばれる(我々の世代は「走光性」と言った。今は 走 と 光 とが逆転しているようだ。参考)。
また、刺激に対して進む場合は「正」、遠ざかる場合は「負」と言う。

なので、電灯に集まる昆虫 や 夜のコンビニにたむろするヤンキー は「正の光走性」を持っている、といえる。

ところで・・・

観察していると、携帯型ゲーム機を持った少年達は不思議なことにある場所に集まり始めるという。
私、あまり携帯型ゲームには詳しくないのだが、昨今のゲーム機には無線 LAN 機能がついているそうだ。
彼らは、家庭やオフィスから漏れ出る無線 LAN エリアを探しだし、そこに集結し、この機能を使ってゲームをしているらしいのである。

生得的な行動ではないが、彼らは「正の無線 LAN 走性」を持っている と言い換えられるかもしれない。

2007年4月10日

ネパールには

ネパールには行ったことないが隣のインドまでならある。
これが初めての海外旅行だった。

宿も行き先も決めずにとりあえずカルカッタ(現コルカタ)空港に。
騙されたり揉めたりしながらナンとか安宿を定め、数日宿泊。
「お前は葉っぱを吸う顔してるから」なんて変な理由で、葉っぱ売りにしつこく付きまとわれた。

その後、仏教聖地のブッダガヤへ。
「聖地なんだし人はいいだろう」なんて甘い期待はすぐに消え、ここでも揉めたり閉じ込められたり脅されたり。

そんな中で親切にしてくれたのはチベット人たちだった。
なんで親切にしてくれるかと云うと、日本人も同じ仏教徒だと思ってくれてるから。
「ブッダン・サラナン・ガッチャーミ」なんて唱えると仲間扱いしてくれる。

ブッダガヤにいたチベット人たちは小さな料理屋をやっており、素性はよく分からなかったがネパールから来たと言っていたような気がする。この店では日本人の口に合うような 焼きソバ や 焼き飯 を出してくれた。ただ塩が強すぎるように思ったが。

ここで数日過ごし、移動のためにガヤ駅へ。
駅に着いたはいいが、どのホームで待っていればいいのかよく分からない。駅員にたずねても返事がよく聞き取れない。
途方に暮れていると、また別のチベット人が声を掛けてくれた。この人も親切だった。私の乗りたい列車が来るまで一緒に待ってくれた。その間、「ダライラマ知ってるか?」と訊かれて、「うん、知ってる」と答えると更に親身になってくれた。「お腹空いてないか?」と心配してくれて、ちょっとした軽食もいただいた。

そんな感じで仏教に助けられた旅だった。


さてさて、なんでこんなことを思い出したかと云うと、ヒンドゥー教徒(インド人やネパール人)の宗教感をちょっと解説してみたくなったからである。
先日ある TV 番組でインド人が「日本人とは同じ宗教だと思ってたのに、牛を食べるのでビックリした」と言っていた。この発言に違和感を持つ人が私の廻りに結構多かったのだ。
だって

多くの日本人は(一応)仏教徒で、多くのインド人はヒンドゥー教徒だ。なので同じ宗教ではない。

と思う。でしょ?これは日本人(仏教徒)視点からなら当然なのだが、逆の視点からすると

多くの日本人は(一応)仏教徒で、多くのインド人はヒンドゥー教徒だ。なので同じ宗教なのだ。

となる。ナゼか。

ヒンドゥー教には中心的な三神がいる。ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァである。
このうちヴィシュヌは何度か変身して地上に現れている(アヴァターラ)。
この何度目かの変身が仏教の開祖であるお釈迦さんと云うことになっている。
# これは仏教をヒンドゥー教に取り込み下に位置付ける為だと考えられている。

ということで、仏教はヒンドゥー教に包含されている。と彼らは考え、

なので同じ宗教なのだ。

となる。

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2007年4月11日

あまりヒステリックにならんでも・・・

どうにも相関関係と因果関係との区別がついてない人がおるようで、というより、安直に意味づけしたがる人たちがおると言った方が適切か。ヘタな心理学者 や ユルイ社会学者 なんかがそんな感じ。まぁ、この人たちを攻撃しても始まらんのやけど。

相関関係は
 A 値が上昇するとき、B 値も上昇します
因果関係は
 A 値が上昇することで、B 値が上昇します

相関関係では、A と B との事象は、同時に起こってもいいし、どっちが先に変化してもいい。単に同じ様に変化するねってコト。
一方、因果関係では B が先に変化するケースは思いつかない。A が先に変化するか、同時。A が原因で B は結果なんだし。


そんなの当り前じゃないか!


んじゃ、A を「二酸化炭素濃度」、B を「気温」と読替えてみましょう。
相関関係なら
 二酸化炭素濃度が上昇するとき、気温も上昇します
因果関係なら
 二酸化炭素濃度が上昇することで、気温が上昇します

とここで、このページの一番下の図を見てください。
 ほぼ日刊イトイ新聞 - 婦人公論 井戸端会議
 http://www.1101.com/fujin-ido/191index.html

この図によると、「気温」の変化が先、「二酸化炭素濃度」の変化が後。

結果が先に起こるとは思えないし、
 因果関係;
  二酸化炭素濃度が上昇することで、気温も上昇します
というのは無理があるんじゃないの。単に相関関係にあるってだけで。
(このグラフが正しければ、ですが)


と考えるのも、当り前だと思いません?


まぁ 使いっぱなし や 無駄遣い は自省したらエエけど、無理矢理と云うか安直に意味づけして脅かされてる可能性があるんちゃう?

それにしても、子供の頃、学校で教わった「人類がこのまま石油を使い続けると数十年で枯渇します」って一体なんやったんやろね。

2007年4月12日

TV で、永遠のモータウン

以前、軽くお伝えした永遠のモータウン』。
04/15(日) 25:50〜28:00 毎日放送でやるようです。
黒いのが好きな人におススメ。

2007年4月13日

蜆−しじみ−

先日、某 TV 番組で始めて知ったが、日本に生息する蜆は 3 種類、ヤマトシジミ、セタシジミ、マシジミだとか。

食卓にでるのは 99% 以上がヤマトシジミらしい。他のセタシジミマシジミは殆ど流通していない。

セタシジミの「セタ」とは滋賀県 琵琶湖南端の地名「瀬田」のこと。琵琶湖・淀川水系の固有種だそうだ。
ただ、水質が悪くなり数が激減したらしい。今では漁師が増殖に取組んでいる

そういえば最近、食べる蜆汁は粒が小さいように思う。子供のころ食べた蜆は大きかった。
今、食べているのはヤマトシジミで、昔、食べていたのがセタシジミだったのか
・・・・と思ったがこのページのグラフを見ると、私が子供の頃には既に随分減っている。

うーん、どうなんだろう。単に大きなヤマトシジミを食べていただけなのか、それとも自分が小さかったから相対的に蜆が大きく見えたのか。でも京都だからセタシジミが流通しててもおかしくないし。

落語に「蜆売り」と云う噺がある。

十日戎の寒い日。少年が蜆を買って貰おうとある家に入る。
初めは下働きの者にジャケに扱われるが、少年の窮状を見かねた親方が蜆を高値で買ってやる。
困窮の原因をたずねると、少年には病気の母と姉がおり、蜆の稼ぎでなんとか食い繋いでいる。姉には夫がいたが今は不在だと言う。よくよく話しを聞くと、以前、人に騙され出来た借金のため夫婦揃って身投げをしようとした。が見知らぬ男性に説得された上に大金を恵んでもらった。そのとき偶然大きな泥棒があり、急に大金をもったこの夫に疑いがかかり、警察に連れて行かれたまま戻らない。
実はこの金を恵んだ男は・・・・という人情噺(書きながら泣けてきた)。

2007年4月15日

エタノール・ブーム

2007/04/14 日経新聞に“米「エタノール・ブーム」に警鐘”という記事が掲載された。
取材相手は米国のシンクタンク アースポリシー研究所所長 レスター・ブラウン氏。

この人の論旨をまとめると
1. 1978 年の立法で、エタノール生産 1 ガロン(3.785ℓ) あたり 51 セントの実質的な補助金が出るようになった
2. 2006/01 米ブッシュ大統領一般教書演説で、ガソリン代替燃料としてエタノールの拡大が表明された
3. これでエタノールブームが起き、生産工場への投資が加熱
4. 2008 年には収穫したトウモロコシの半分はエタノールに使われると予想される
5. これにより、食料・飼料用トウモロコシが値上がりする
6. これにより、家畜肉(牛肉、豚肉、鶏肉)が値上がりする
7. これにより、乳製品・鶏卵なども値上がりする
8. 大型車のガソリンタンクを満タンにするには、人間 1 人 1 年分の穀物が必要
9. 世界で自動車に乗るのは 8 億人、一方、貧困層は 20 億人
10. 自動車を持つ者の年収は 3 万ドル、一方、貧困層は 3 千ドル以下
11. 前者はエネルギーに、後者は食料として、同じ穀物を巡り争う
12. (上記 5-7 で食糧費は高騰してるし)貧困層にとっては極めて不公平な競争となる
13. また、農耕国で水の大量消費とその争奪も予想される

・・・という話し。

穀物を直接エネルギーに使うとこういう問題がある(と予測する人もいる)。
それなら、穀物をこれまで通り食糧として使用しその後で燃料にする方がいいのかも。たとえば滋賀などで試験されてるコレとか。それはそれでなんか問題あるかも。

2007年4月17日

天才アマチュア数学者 フェルマー の トゥールーズ

フェルマーの最終定理 でおなじみのピエール・ド・フェルマー。
彼はフランスのトゥールーズ出身。
皮革商人の裕福な家庭で教育を熱心にうけ弁護士資格をゲット。
ペストかなにかで上司がジャンジャン死んじゃって、昇進。
判事やら議員やらになって、名前に“ド”がつくまでに出世。

  ハルダンジ・ド・アホウ・カツラ

ちうことで本職は数学と全く関係ない。数学はただの趣味。
んでタチが悪いことに彼は他人をおちょくるのが大好き。同時代の大数学者相手に「僕はコレが解けたもんねぇ」なんて手紙を送りつける。
でも彼は、そのヤリトリの中でちゃんと研鑽し、パスカルと確率論を確立したり、微分のヒントを生み出したりしてる。


ところで彼の出身地 トゥールーズ に一瞬だけよったことがある。これも随分前の話し。

城以外に見るモンがないリヒテンシュタインの首都ファドーツに飽きた。そろそろどこかに移動しようかと思い、同宿だったドイツ人に最寄の駅まで車で送ってもらった。
そこから鉄道でひとまずバーゼルへ。バーゼルはドイツ・フランス・スイスの 3 国が接している町。とりあえず、ここにいればどこにでも向かえて便利だ(ちなみに数学者オイラーや天才一族ベルヌーイの出身地)。
この後、パリのホテル ケ・ボルテールである人と落合うことになっているが、ソレまで数日の猶予がある。
パリで時間を持て余すよりも他所に行こうか。
地図にピレネー山脈の小国アンドラを見つけた。小国リヒテンシュタインの次も小国。
時刻表をひくと、とりあえず Toulouse と云うトコロまで寝台列車で行けることがわかった。列車へ乗り込み、上段の寝台に潜り込んだ。
列車が動き出し、しばらくすると検札に車掌が廻ってきた。どうも仏語で目的地を聞いているようだ。
“Toulouse”の読み方がわからない。仏語の発音は比較的明快なルールがあり覚えてしまえば簡単なのだそうだが、このときそんなことは知らない。

 「えっと・・・ト・・ウ・・ロ・・・えへへへへ」
 
 しーん・・・(車掌は憮然としている。笑って誤魔化せないらしい。)
 
 「えっと・・・あの・・・(英語で)仏語、判らんのですわ」

すると下段の寝台から「あん?仏語、判らんやと」と言う邪魔臭そうな声と共に年配の男性がカーテンから顔を突き出し、私を見上げた。顔を車掌に向け何やら伝えている。と車掌は納得した様子で去っていった。

 「す・・・すんまへん」

という私の礼に特に反応なく彼は顔を引っ込めた。
それから一晩経った(記憶が曖昧)。下段の男が私の寝台のカーテンを開けて何やら言っている。どうやら目的地に着いた様子で「自分について来い」と言ってるらしい。彼は「パルドン、パルドン」を繰り返しながら人を掻き分けて進んでいく、私も彼に倣って「パルドン、パルドン」。
プラットフォームに降りると彼は「んじゃ私はここで。じゃぁな」(と言ってたんだと思う、全く判らんが)。無愛想だけが良い人だったみたいだ。

・・・となんとか辿り着いたのが Toulouse。ここがトゥールーズで結構有名な町だと知ったのは、帰国してから数年後のことだった。

2007年4月18日

ダニエル・ベルヌーイ

天才一族ベルヌーイ家の一人ダニエル・ベルヌーイ。

機械工学出身者、特に流体系の人に馴染みの深い“ベルヌーイの定理”は彼の仕事。
ベルヌーイの定理とは、エネルギー保存の法則を流体に適応したものである。

自分のために以下 ベルヌーイの定理 の復習

運動エネルギーは 1/2 mv2
 E = W = Fx = max = m dv/dt x = ∫m dv/dt dx (0→x) = ∫m v dv (0→v)
  m:質量、a:加速度、x:移動量、t:時間、v:速度
位置エネルギーは mgh。
 E = W = Fh
  m:質量、g:重力加速度、h:高さ(移動量)
圧力エネルギーは pv。
 E = W = Fx = p yz x
  p:圧力、x:移動量、yz:圧力を受ける面積、v:体積(xyz)

これらの総和は エネルギー保存の法則 に従い一定となるから

  1/2 mv2 + mgh + pv = const

単位質量あたりで書き直すと

  1/2 v2 + gh + p/ρ = const   ※ ρ:密度(m/v)

となる(簡単のため内部エネルギーなどは割愛)。

2007年4月23日

布団だんじり

先日、淡路島へ旅行した。
タイミングよく伊弉諾神宮でお祭りがあり、布団だんじりの奉納を見ることができた。

070421_1210~0001.jpg

一般名称としては『舁き山 太鼓台』だが、地域によっては『布団だんじり』『御輿太鼓』『布団太鼓』など呼称が変わるようだ。

縦にした和太鼓を中心に、数十人が担げるように“井”の字に木枠が組んである。
太鼓の廻り(井桁の上)には数人の打ち手が乗り込む。
打ち手を囲むように龍や武者を刺繍した分厚い織物があり、その上には合戦が彫り込まれた欄間。
屋根は幾層にも重なった布団で出来ている。

私が、このスタイルの神輿を始めて見たのは大阪の堺、百舌鳥八幡宮。ドライブをしていて偶然見かけた。
他にも住之江、平野、八尾、泉佐野で同様の形式の神輿があるらしい。

こんな形の神輿は京都で見たことがない。
なので京都にはないものだと思ったが、検索してみると木津町にはあるようだ。
だた、木津町が『京都』かと云うと・・・京都府だし山城国でもあるけど・・・ねぇ・・・。

このサイトによると瀬戸内海を中心にこのスタイルの神輿が使われているとのこと。

2007年4月24日

淡道之穂之狭別島

先日行った淡路島の続き

巨大建造物 好きの私にとって明石海峡大橋はカンチャンずっぽりストライク。

運転中につき撮影できなくて残念。しかたなく橋脚のみの撮影となった。
この映像ではわかりにくいが橋脚もそうとう巨大。

070421_1035~0001.jpg

大きさ比較のためショートホープを写し込んだが判るかな?ウソ。ショートホープなんてない。


自凝(おのころ)島神社の鳥居。

この映像ではわかりにくいがかなり巨大。

070422_1044~0002.jpg

大きさ比較のため わかば を写し込んだが判るかな?ウソ。しつこい。


ところで、淡路島の設定が曖昧だ。
伊弉諾神宮では『淡路島=最初に産んだ島』としているが、自凝島神社では『淡路島=おのころじま』となっている。

おのごろじまは天沼矛から滴り落ちて積もった臨時の島で、その島でイザナギ・イザナミの二柱は国産みを始める。
国産みで最初に完成したのは、古事記では淡道之穂之狭別島、日本書紀では淡路洲となっており、共に淡路島を指している。

と云うことで、自凝島神社の説はよくわからない。

また、伊弉諾神宮は平安時代には神位一品・一宮の社格を授かっている。一方、自凝島神社は神社本庁に属していないようだが・・・

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