ア・プリオリ
ア・プリオリ の意味を理解するのは困難なのだそうだ。
ア・プリオリは a priori と書き、ラテン語で “より先のものから” と云う意味らしい。
対義語ア・ポステリオリは a posteriori で “より後のものから” の意。
このことから、前者を“先天的”、後者を“後天的”と訳す・・・・と誤解のモトになる。
認識論で“ア・プリオリな知識”と云う言い回しが出てくる。ここで上を適用すると“先天的知識”となる。
“先天的知識”ならば“生得的・本能的知識”と思ってしまうが、認識論ではそんなことを云いたいワケではない。
例えば命題「すべての独身男子は未婚である」は “ア・プリオリな知識” なのである。
当然、生まれながらにこんなことを知っているワケがないので、生得的・本能的知識ではない。つまり “先天的” ではないのだ。
この概念を理解するために “経験” と云うキーワードを使って補足される。
“ア・ポステリオリな知識” は “経験によって得た知識”、“ア・プリオリな知識” は “経験によらない知識” である。
んじゃやっぱり、“先天的”“後天的” の訳でいいように思うが、そうではない。
「すべての独身男子」を調べて「彼らは未婚である」と云うふうに、この知識を獲得したのではない。
言い換えると、経験を通して得た知識ではないのだ。つまり “ア・ポステリオリな知識” ではない。
でも、概念「未婚」は辞書なり誰かに聞いて得た知識、つまりそれなりの経験を通して獲得した知識じゃないの?と問われれば、主観がどうのこうのって、ややこしい説明に突入してしまう。
まず、「ア・ポステリオリか?」を考え、ア・ポステリオリでなければ「ア・プリオリだ」と判断した方がいいのかもしれない。